diary

日記。たいした内容ではないようです。

2025/5/14 (水) #

  • モンテスキューの『ペルシア人の手紙』を読んでいる。とても面白い。
  • 「上の空」という蕎麦の実をつかったラガービールを飲んだ。とても美味しい。
  • 中野好夫『スウィフト考』(岩波新書、1969年)冒頭の年表には、英国の出来事と日本の出来事が併記されていて、英蘇合邦と富士山の宝永の噴火が同年だということを知った。ちょっと面白い。

2025/5/13 (火) #

これから暑くなっていくんだろうなあ、と予感させる気候で、つるっとしたものが食べたくなったので、お昼は蕎麦屋に入った。あまり意識したことがなかったが、ざるそばともりそばの違いは、前者には海苔がのっているということで、それによって値段には200円の差があった。あの細かく刻まれた海苔だけで200円なのだから、海苔は貴重だ。

2025/5/12 (月) #

多忙。雨が降りそうだったが、降らなかった。

2025/5/11 (日) #

ビートたけしのWikipediaに、次のような(出所不明の)記述がある。曰く、「番組冒頭で「というわけで(ございましてですね)…」という台詞と同時に司会を始めるたけしのスタイルは、元々は他の出演者に「どういうわけだよ!」とツッコミを貰うためのボケにすぎなかったが、バラエティ番組などで当たり前のように常用されている」、と。いまでは、いきなり開口一番、「というわけで…」と切り出しても、誰からもつっこんでもらえないだろうが、かつてはボケとして機能していたのだ。私の観測した範囲の落語家だと、柳家小ゑん師匠は、まくらの冒頭で「さようなわけでございまして」と始めることがしばしばある。本当にビートたけしがこれを最初に使い始めたのか、いつ頃からボケとみなされなくなったのか、気になる。当時は、「どういうわけだよ!」というツッコミがあったら、どのように返していたのだろうか。

2025/5/10 (土) #

健康診断。視力検査で「うーん、ちょっと見えにくいんですけど、下ですかねぇ」などと言っていたら、「下ということでよろしいですか?」とファイナル・アンサーをもとめられてしまった。身長体重、血圧、内科とベルトコンベアー式に受け身の流れ作業が続くなかで、眼科だけは積極性が要求される。

2025/5/9 (金) #

それほど忙しくはない一日。豆大福を食べた。

2025/5/8 (木) #

忙しい一日。たいやきが食べたい。

2025/5/7 (水) #

忙しい一日。餃子が食べたい。

2025/5/6 (火) #

雨がふっていて、肌寒さのある日だった。お蕎麦を食べたら美味しいだろうなあと思わされる肌寒さだったが、ゴールデン・ウィークでお蕎麦屋さんは休みだった。

2025/5/5 (月) #

道端でアゲハチョウを見つけた。もうすぐ夏だ。

2025/5/4 (日) #

十日ほどまえに入手してときどき読み進めていた、川上弘美『神様』を読み終えた。デビュー作である表題作を起点とした九編の連作短編集である。うっすらとした既視感とともに読んでいたのだが、今日、八作めの「離さない」を読んだときに確信を得た。これ、前も読んだことがある、と。おそらく中学生くらいのときだと思う。フロイトと無意識にからめながら著者の筆力を賞賛する佐野洋子の解説を読んだ覚えはさっぱりないから、当時は理解できなかったのではないか。なにかのメタファーや寓話としてではなく、川上弘美の描く「夢」をそのままたのしむほうが豊かな読み方になると佐野洋子の解説は言っている。ここに描かれている情感は「夢」のなかのそれよりも、もっと現実的で、その機微じたいに魅力があると思う。

2025/5/3 (土) #

ゴールデン・ウィークで、何も予定がないので、一日中じっくり研究書を読めて満足だ。

2025/5/2 (金) #

恵比寿ガーデンシネマで映画「セッション」のデジタルリマスター版を見た。前半の出来事(たとえば、遅刻しそうになって階段で転ぶ、楽譜を置き忘れる)と同じ型の出来事が、より大きな規模で後半に発生する(交差点での事故、ドラムのスティックを置き忘れる)という構造がある。一定の繰り返しのあるほうが、理解しやすい物語になるということだろう。

2025/5/1 (木) #

時間ができると、どうしても歩きたくなって、たくさん歩いてしまう。今日も、新宿から千駄ヶ谷まで歩いてしまった。代々木・千駄ヶ谷間にある踏切は、大都会のどまんなかといっても過言ではない立地なのにたいそうつつましやかな風情で、好感がもてる。

2025/4/30 (水) #

二週連続で報告をすると、疲れる。

2025/4/29 (火) #

先日、和歌山のアドベンチャーワールドのパンダたちが、6月末で中国に返還されてしまうというニュースがあったが、今日は中国訪問中の議連がパンダの貸与を要請したというニュースを見た。パンダの存在は大きい。

2025/4/28 (月) #

天気予報で雨が降ることは分かっていたのだが、一昨日と同じく、雨に降られると一瞬で浸水する靴を履いてきてしまい、ちゃんと靴下まで濡れてしまった。

2025/4/27 (日) #

髪を切った。思ったほどさっぱりしなかった。

2025/4/26 (土) #

駅から大学へ向かうタイミングで、ちょうど土砂降りに遭遇してしまった。靴下までびしょびしょになったのに、大学についてすぐきれいに晴れだした。

2025/4/25 (金) #

朝、早起きをすると、一日が長くなる。

2025/4/24 (木) #

ここさいきん、ファミリーマートのクリームパン、その名も「ファミマ・ザ・クリームパン」にたいそうハマっている。週3くらいで食べている。なかのクリームが、これぞクリームだという味わいで、それを邪魔しないのにパンとしての満足感をきちんと届けてくれるパンが周りを囲んでいる。こんなにたくさん食べてたら、クリームパンになってしまう。

2025/4/23 (水) #

スコットランドのセント・アンドリューズ大学から、入学許可の通知をもらった。ようやく一区切りがついたことになるが、ここまで進めてきたPhD留学の準備を振り返ると、トライアスロンみたいだと思う。水泳、自転車、陸上の三種目が求められるのと同様に、留学準備も、研究、語学、金策という三種目をすべてコンプリートしなければならない。この三つを同時並行で進めるのが、なかなか大変だったが、一つを頑張ることが他の要素にも好影響を与えるという側面もあり、たとえば英語で論文を書くことは、語学のスコアを上げることに寄与した。きっとトライアスロンでも、陸上で持久力を鍛えることが、他の種目に役立つこともあるんだろう。やったことないけど。

2025/4/22 (火) #

実家の植木の枝を落とした。だいぶすっきりして、人間の頭をカットする床屋さんは、だいたいこんな気分だろうと思った。

2025/4/21 (月) #

いろいろ人生について考えた結果、忘れないようにメモしておくと、老後の夢は陶芸を趣味にすることだ。

2025/4/20 (土) #

三月末の学会で泊まった神戸のホテルに、USBタイプCの充電器を置き忘れてきたことに気がついた。というか、神戸から帰ってきてすぐに気がついたが諦めていたのを、今日ちょっと必要な場面が出現したので思い出し、置き忘れてきたことを忘却していたということに気がついた。その程度だから置き忘れたのだろう。

2025/4/19 (土) #

山手通りを電動スクーターにのって北上する女性が背負ったリュックから、犬が顔をのぞかせ、風をうけていた。犬種はヨークシャー・テリアだった。

2025/4/18 (金) #

松沢裕作『歴史学はこう考える』の面白い指摘の一つは、政治史・経済史・社会史などの分野によって、暗黙理に想定されている「意味のあるまとまり」が異なるという点だ。このことをさらに掘り下げると、歴史家は誰のために歴史を書いているのか、という疑問が出現する。

2025/4/17 (木) #

ある指摘に批判的に応答するさいの言い回しに、「XXも一枚岩ではない」がある(XXには任意の学派や主義が入る)。私もしばしば使ってしまうが、クリシェ一般をあまり使用すべきでないのと同様に、このクリシェもあまり生産的な効果をもたない気がする。なぜなら、XX学派やXX主義が一枚岩ではないのは、ほぼどんな場合でもあてはまる事実だからである。異なる人物や一定の共有された思想的立場を一括りにするために、XX学派やXX主義というラベルが用いられるのであり、ほんらい吟味されるべきは、そのラベルの定義や範囲の妥当性のはずだ。しかし、「XXも一枚岩ではない」という発話は、XXというラベルの妥当性を認めるようなそぶりをみせながら、たんに「一枚岩ではない」という事実の指摘に終始することが多い。そうなると、なんとなくXXというラベルは使いにくいという雰囲気だけが残ってしまうだろう。

2025/4/16 (水) #

第六感を駆使して、行方不明だった4冊の文庫本を発見することに成功した。今回は無事に返却できたものの、これからは、借りた本の管理にもうちょっと気を遣おう。

2025/4/15 (火) #

図書館に返却すべき明日が期限の文庫本が4冊、雲隠れしてしまって、途方に暮れている。大捜索したのだが、見つからない。いままでこんなことなかったのになあ。

2025/4/14 (月) #

昨日や一昨々日の雨ですっかり桜も散ってしまって、「新緑がまぶしい季節」になった。

2025/4/13 (日) #

しぶらくの夜の部を見てきた。先月と同じ、小ふねさんのあとに百栄師匠という顔付け(先月は二人の会で、演目は小ふねさんがたらちね、百栄師匠が禁落語外来だった)。

  • 小ふね つる
  • 百栄 お血脈
  • 小助六 藁人形
  • 馬石 笠碁

小ふねさんは、あいかわらず、ふつうの噺をふつうにやっているようでいて、本人の人柄にあわせた人物造形が巧みなので、今日もかなりウケていた。つるの前半は古典どおりだが、八五郎よりもご隠居のほうが立場があきらかに「弱い」という演出で、その関係性の描写が絶妙だし、おかげでご隠居がつるの由来のつくり話をせざるを得なくなるまでの流れがスムーズだ。後半では、若干の改変が施されており、登場人物はみなまともなのに「つる」のルールには全員がしたがっていて、その状況だけが異常である、という構造が強調されていた。状況のおかしさを記述するのが、落語のおもしろさだと思う。馬石師匠の笠碁も、余計な要素が削ぎ落とされていて、とても落語的。

2025/4/12 (土) #

新学期だが、あまり自分のなかの新学期のスイッチが入った感じがしない。つまり、切るべきレジュメの進捗が、あまりはかばかしくない。

2025/4/11 (金) #

もう大丈夫かと思って、マスクを外したり、小青竜湯を飲むのをやめてみたりしたけど、やっぱりまだ花粉は収まっていなかった。ぜんぜん鼻水が出る。
はなから論文を書こうとすると億劫に感じるが、先に口頭発表の予定が決まると、恥をかきたくないのでしっかり準備せねば、という気になる。

2025/4/10 (木) #

帰りの電車で、老婆(というほどでもないがそれなりにお年を召した方)に席を譲った。私は角からふたつめの席に座っており、電車が駅に停まって、乗りこんできたその老婆は、まっすぐ私の前にやってきたので、咄嗟に「座られますか?」と声をかけた。どこに立つかなど迷うことなくまっすぐ歩いてきて、私の前ですっと立ち止まられたとき、これは声をかけるべきタイミングだと本能が告げた。あのタイミングを逃していたら、譲るべきか、譲らざるべきか、しばし躊躇していただろう。